日本人にとって ← 日本人じゃなくても😆

毎年この時期は、

夏だ❗️

海だ‼️

ビールが旨い🍺

暑い夏はビールがホント旨いです。

( 個人的感想です )

と、おちゃらけはさておき

こんな感情に浸れるのも

先人たちのお陰で、平和な世の中であるからこそです。

毎年この時期は、特別な思いが湧いてきます。

8月6日、広島原爆の日

8月9日、長崎原爆の日

そして

8月15日の終戦記念日

戦後から、79年

79年前、ある人物の発言がなかったら

今頃、僕らは日本人でなく

アメリカ人や中国人になって、自由を奪われていたかもしれない・・・

という現実のお話です。

日本が第二次世界大戦に破れ

終結のためのサンフランシスコ講和会議。

それは日本を今後

どうしていくのか話し合う会議でした。

ソ連は

1、分断政治

2、高額な賠償金

3、主権の制限

を主張

それが通っていたなら

東西ドイツのように・・・

日本は、米英中ソの4つの国に分断されて

現在のように、県を跨いで自由に行き来するなんてできないことになっていました。

戦争で負けた国は、ただそれを受け入れるしか

道はありません。

しかし、

ある人物のスピーチが

日本の運命を大きく変えることになりました。

その人物の名は

🌟 🌟 🌟 🌟 🌟 🌟

セイロン( 現在のスリランカ )の大統領

ジャヤワルダナさん

🌟 🌟 🌟 🌟 🌟 🌟

彼の言葉があったからこそ、

日本は、米英中ソの4か国に分断されることもなく、

高い賠償金も払うこともなく

戦後、国際社会に復帰することができたのです。

そのスピーチで

多くの人の心を捉えたのが

ジャヤワルダナさんのこの一言

🍀 🍀 🍀 🍀 🍀 🍀

憎しみは

憎しみによって消えるのでなく、

愛によってのみ

消え去るのである

🍀 🍀 🍀 🍀 🍀 🍀

この演説後、会場内は拍手喝采となって

各国代表の心が変わったのです。

今、当たり前のように自分たちを

日本人だと認識していますが

この言葉があったからこそ

現在の日本の独立と繁栄があります。

実は、この言葉は

お釈迦様の言葉からの引用です。

♧..。..:°࿐。:°ஐ♧

人はただ愛によってのみ

憎しみを越えられる

人は憎しみによっては

憎しみを越えられない

♧..。..:°࿐。:°ஐ♧

西洋諸国は、これまでアジア諸国に対し、

植民地化で侵略と略奪を繰り返してきました。

一方、日本は、アジア諸国を豊かに、

自立できるように行っていたことが、

ジャヤワルダナさんスピーチからも伺い知ることができます。

やったことがそのまま返ってくる。

出すから入る✨

まさに宇宙の法則なんだって思います😆

以下

スピーチ内容全文です( 日本語訳 )

🔶 🔶 🔶 🔶 🔶 🔶

平和条約草案の承認にお集まりの51カ国の方々を前にしてセイロン政府の見解を述べる機会を与えられたことは、私にとって非常に光栄なことと存じます。

私の申し上げることは、この条約を承認するその理由と条約の承認におけるいくつかの批判についての釈明をもかねると存じます。

私はセイロン政府を代表してのみ発言することができるわけですが、アジアの人達の日本の将来についての一般的な感じ方を、声を大にして述べ得ると断言します。

今審議中の平和条約が最終草案に仕上がるまでの経緯について、私達が言及する必要はありません。アメリカ代表のダレス氏と英国代表のヤンガー氏が、1945年8月の日本の降伏から初めて充分かつ公正なる説明をされました。

しかしこの条約の草案の作成にあたって四大強国の間に大きな意見の相違があったことは見過ごしできないことです。

ソ連は、四大強国のみが―即ちアメリカ、英国、支那(中国)及びソ連の外相理事会―草案作成に参加すること、それ以外の国が加わる場合は拒否権が与えられるべきと強く主張しました。

英国はその自治領の国々とも相談すべきであると主張し米国はこれに同意し、その両国は日本との戦争に参加したすべての国にも相談すべきだとの立場を支持したのです。

これらの国の中にも条約の実際的な条件については見解の相違―或る国は軍国日本の台頭をおそれ、又ある国は日本軍の侵略による被害と恐怖が忘れられず―があったのです。

完全に独立した日本にすべきだと立案され討議されたのは、1950年1月の英国連邦外相によるコロンボ会議の場であったことを私は申し上げたい。

コロンボ会議では、日本を孤立した例ではなく、世

界の富と人口の大部分を占め、かつ最近自由を再獲得したが、結果として長い間放置され今も苦しんでいる人々を抱える、いわゆる南方及び東南アジアの一部として日本を取り上げたのです。

この会談から二つの考え方が出てきました。

一つは、日本は独立した国にすべきであり、もう一方は、南方及び東南アジアの人々の経済及び社会的立場の向上を図るために必要で、それを実現するためにコロンボ計画として現在知られている計画が着手されたのです。

英国代表のヤンガー氏はコロンボ会談後、英連邦高等弁務官実行委員会が条約の草案を作成し、またそれを後でアメリカ代表のダレス氏とも検討したことを我々に明らかにしてくれました。

我々の前にあるこの条約は、これらの協議・検討の結果であり、私の政府の意見も反映しているが、反映していない点もあるのが実状です。

私は現時点では、これが日本との和平を討議したい国々の間で達成可能な最も共通する意見であることを表していると主張します。

アジアの国々を活気づけるため―セイロン、インド及びパキスタン―における日本への主な考えは、日本は自由な国にするべき、であります。

そしてこの条約は、その考えを完全に具現しているといえます。日本の自由という論点において他の付随的な問題があります。

すなわちその自由は、本州・北海道・九州及び 四国のみに止まるべきか、或いは近隣する小さな島々にも及ぶべきか?

もし及ばないとしたら、これらの小さな島々をどうすべきか? 台湾は1943年のカイロ宣言に従い中国に返還すべきか? どちらの中国政府に? 中国を講和会議に呼ぶべきか? もし呼ぶならどちらの政府か? 日本に賠償を迫るべきかもしそうなら、その金額は?

日本が防衛力を組織するまで、日本はいかにして自国を守るのか?日本の自由に関する主な問題について我々は最終的に同意に達し、そして条約は、その同意を具現しています。

他の問題については、著しい意見の相違がありますが、条約には、大多数の見解が示されています。

我が政府は、これらの問題点が他の方法で明らかにされていたら、私の政府はそちらを好んだでしょう。

しかし大多数が我国に同意しないという事実は、自由で独立した日本という中核概念を含む此の条約に我国が調印するのを控えるという理由にはなりま

せん。

私が申し上げた一連の事柄は、日本が自由であれば解決され、日本が自由でなければ解決されない事柄だと思います。自由な日本については、例えば国連を通じて世界の他の自由な国々と討論をかわし、早期に満足のゆく決定に達することができるのである。

この条約に署名することで日本はそれが可能になり、また、日本が望むならば中国の政府と友好条約を締結することができ、そしてこれは私

にとってもうれしいことですが、日本はインドとも平和友好の条約を結ぶ事が出来るのです。

しかし、我々がこの条約に調印しなければこれらのことはどれも最終的に結実しないのです。

なぜアジアの人々は、日本が自由であるのを熱望するのか? それは我々が日本と長い年月に亘る関係があるためであり、それは、被支配諸国であったアジア諸国の中で日本が唯一強く自由であった時、そのアジア諸国民が、日本を保護者として、また友人として仰いでいた時に抱いた日本への尊敬の念からです。

思い起こせば、さる大戦中に、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンが人々の共感を得、自国が解放されるとの望みで、ビルマ、インド及びインドネシアの指導者の中には日本に呼応した人達もいたのです。

わがセイロンの人々は幸運にも直接に侵略されなかったが、空襲や東南アジア軍の下、大量の数の軍隊の駐留による被害など、また連合軍に対する唯一の生ゴムの生産者であり、我が国の重要産業品

である生ゴムの大量採取による損害に対して我国は、当然賠償を求める権利を有するのです。

しかし、我々はその権利を行使するつもりはありません。なぜならアジアで何百万人もの人達の命を価値あるものにさせた大教導師の

“憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止むとの言葉を信じるからです。

この言葉はブッダ大教導師―佛教創設者―の言葉で、人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、泰国、インドネシア及びセイロンに拡げ、また同時に北方へ、ヒマラヤを越えてチベットから支那を経て最後に日本に及んだものです。そ

の波は我々を何百年もの間にわたって共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのです。

この共通の教養は、現在も脈々と存在していたことを私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄ったときに見出したのです。

日本の指導者、国務大臣、一般の人達、そして寺院の僧侶など、日本の庶民は現在も大教導師の平和の教えに影響されており、その教えに従いたいという希望に満ちている印象を感じたのです。

我々はその機会を日本人に与えなければならない。

ソ連は日本の自由は制限されるべきだと申し入れているが、今述べた理由で、私はソ連代表の意見を記名し承諾することはできない。

ソ連が日本に課したい制約とは、日本が自由な国家として許される自国を守る兵力を維持する権利の制限や、その他ソ連が申し入れる制約は、ここに出席されている大多数の代表団ばかりでなく、出席

していない他の国々にも、この条約の承認を難しくしている。

特にこの条約が意図していることよりも、更にそれ以上をのぞむインドは絶対に反対するはずである。

もしソ連が、琉球及び小笠原諸島が、カイロ及びポツダム宣言に反して日本に返還されるべきと再要求するならば、ではなぜソ連は南樺太と千島列島を日本に返還すると申し出ないのか。

その他ソ連の修正条項も興味のあることです。日本の自由について言及しているが、これらの自由はソ連の人々自身が享受したいと強く望んでいる自由だということです。

従ってソ連の提出した修正条項に我々が同意することができない理由は、この条約は日本に宗主権と平等と尊厳をとり戻させることであり、制約をつければ不可能となるからです。

この条約の目的は、日本を自由な国にし、また日本の復活に何らの制約もつけず、日本自身で外からの攻撃や又国内での騒擾に対して軍事防衛を組織するようにさせ、その時期がくるまで日本が自国を守るため、友好強国から援助を求めやすくし、経済に悪影響を与えるような賠償金を日本から取り立てないようにする為のものであります。

この条約は敗北した者に対するものとしては寛容な内容でありますが、我々は日本に対して友情の手を差し伸べましょう。

人類の歴史のこの章をとじるにあたり、今日書いているこれが最後のページとなることでしょう。

そして、明日からまた新しい歴史の章の第一ページを記すにあたり、日本人と我々が共に手を携えて人類の生命の威厳を存分に充たし、平和と繁栄のうちに前進することを祈念する次第であります。

(出典:在日スリランカ民主社会主義共和国大使館)

🔶 🔶 🔶 🔶 🔶 🔶

実は、ジャヤワルダナさんは亡くなった後

彼の遺言によって

右目はスリランカ人に、左目は日本人に、それぞれの角膜が移植されたとのことです。

日本に対して深い愛情と特別な思いを持っていたことがわかります。

今の日本は、彼の目にはどう映っているのでしょうかね?

そして、こちらも紹介しておきますね。

X ( Twitter ) でこの時期になると毎年

長崎での被曝体験をポストにされています。( ポスト遡ってみてください )

わたくし95歳さん( @Iam90yearsold )

衝撃的なポストですので

繊細な方は閲覧注意です。

全てに感謝‼️

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

本日は以上となります。

最後まで読んでいただき感謝です💕

本日も笑顔いっぱい、幸せいっぱい

最幸な一日にしましょう•*¨*•.¸¸♪✧

🐬 きくさん 🐬

カテゴリー: Happyお届け便